「オーガニゼーション・マン」は、1956年当時のアメリカの典型的な労働者だった。そのほとんどは男性で、大組織のために個性や個人的目標を押し殺した。この禁欲の代償として、組織は定収入と雇用の安定、そして社会における居場所を提供した。
「オーガニゼーション・マンはアメリカ社会の主流派である・・・アメリカの国民性を形成しているのはこの人たちなのである」と、フォーチュン誌の編集長だったウィリアム・H・ホワイトは書いている。
オーガニゼーション・マンは、野蛮な個人主義に陥ることなく、高望みせずに、「悪くない給料とまずまずの年金、そして自分と限りなくよく似た人達の住む快適な地域社会に、そこそこの家を与えてくれる仕事に就こうとする」と、ホワイトは書いた。
ホワイトによれば、オーガニゼーション・マンは、組織を信仰の中心に置く世俗版の宗教倫理をしっかり守っていた。その教義では、個人は組織に忠実であることを求められた。それと引き換えに、組織も個人に忠実であってくれた。個性よりも仲間意識、個人の自己表現より集団の調和が重んじられた。個人は組織に忠誠を誓い、その要求に従った。そうすることが経済的な安定を得る為に賢明だったというだけではない。それこそが正しく立派な生き方だと考えられていた。
企業の家族的温情主義(パターナリズム)は当たり前のものだった。しかし、1980年代に入ると事情は変わり始め、90年代に入ってその変化は一気に加速した。
84~94年にかけて、ベルおばさんの愛称で知られたAT&Tは従業員を12万人減らし、理想的な就職先とされたメトロポリタン生命保険(マザー・メト)は1万人をレイオフした。ニューヨーク州ロチェスターの地域経済の3分の1を占め、地元では「偉大な黄色いお父さん」と呼ばれていたコダックは、2万人以上の従業員を整理した。
フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか より。
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